ウタ)” の例文
でも、中臣宅守・茅上郎女の歌などは、恐らく、其近代の情史的創作であらうと述べたとほり、こひウタらしくないものである。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
語部が鎮魂の「ウタモト」を語る事が見え、又「事本」をるなど言ふ事も見えてゐる。うたやことわざ・神事の本縁なる叙事詩を物語つた様子が思はれる。
だが同時に、小曲の説明として、長章が諷唱せられる事があるやうになつた。即順序は、正に逆である。かう言ふ場合に、之を呼んで「ウタモト」と称してゐた。
ことわざの用語例転化して後、ふりと言ふ語を以て、うたに対せしめた。古代の大歌に、何振(何曲)・何歌の名目が対立して居た理由でもある。此を括めて、ウタと言ふ。
前代の風俗フリウタを中心に綴つた説話記録が、歌物語となり、自分の身辺の応酬を記した部分が日記歌として行はれるやうになり、其が更に単独な物語や、家集・日記・世代歴史ヨツギモノガタリを生む様になつた。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
此が、物語から歌の独立する経路であると共に、遥かに創作詩の時代を促す原動力となつたのである。此を宮廷生活で言へば、何ブリ・何ウタなど言ふ大歌オホウタ(宮廷詩)を游離する様になつたのである。