歌右衛門うたえもん)” の例文
今の歌右衛門うたえもん福助より芝翫しかんに改名の折から小紋こもん羽織はおり貰ひたるを名残りとして楽屋を去り新聞記者とはなりぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
その春興行には五世菊五郎きくごろうが出勤する筈であったが、病気で急に欠勤することになって、一座は芝翫しかん(後の歌右衛門うたえもん)、梅幸ばいこう八百蔵やおぞう(後の中車ちゅうしゃ)、松助まつすけ家橘かきつ(後の羽左衛門うざえもん
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
歌右衛門うたえもんしたって江戸えどくだってから、まだあしかけ三ねんたばかりの松江しょうこうが、贔屓筋ひいきすじといっても、江戸役者えどやくしゃほどのかずがあるわけもなく、まして当地とうちには、当代随とうだいずい一の若女形わかおやまといわれる
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
然るに春章の錦絵にしきえに至りては、例へば四世団十郎(五粒)三世団蔵(市紅)元祖歌右衛門うたえもん(歌七)元祖中村仲蔵なかぞう(秀鶴)等の如き、その容貌ようぼうの特徴往々にして身体付からだつきの癖をも交へたれば
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
妹背山の舞台に立った、かの四人の歌舞伎俳優やくしゃのうちで、三人はもう二十年も前に死んだ。わずかに生き残るものは福助の歌右衛門うたえもんだけである。新富座も今度の震災で灰となってしまった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)