桓公かんこう)” の例文
また管仲かんちゅうは、斉の桓公かんこうをたすけて諸侯を糾合きゅうごうしましたが、その身は陪臣ばいしんでありながら、その富は列国の君主にまさっておりました。
しんの文公は謀略を好んで正道によらなかった人であり、斉の桓公かんこうは正道によって謀略を用いなかった人である。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
腹のさくるは自業自得じごうじとくなり、子をさして母をこまらせ親を苦しめて子をなかせたる罪の、今たちまち報ひ来て我手の先にたおれたり、悟れや汝生きて桓公かんこうの血に罪を作らんよりは
大清一統志だいしんいっとうし』九七に、山東省の米山は相伝う斉桓公かんこうここに土を積んで虚糧うそのかてし、敵を紿あざむいたとあるを見て似た話と思い居る内、同書三〇六に雲南の尋甸州の西なる米花洗馬山は
美食家のせい桓公かんこうが己のいまだ味わったことのない珍味ちんみを求めた時、厨宰ちゅうさい易牙えきがは己が息子むすこ蒸焼むしやきにしてこれをすすめた。十六さいの少年、しんの始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾あいしょうを三度おそうた。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
せい桓公かんこうが公子きゅうを殺した時、召忽しょうこつは公子糾に殉じて自殺しましたのに、管仲かんちゅうは生き永らえて却って桓公の政をたすけました。こういう人は仁者とはいえないのではありますまいか。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)