時平しへい)” の例文
所のつたへに大なるを時平しへいの塚とし、小なるを時平の夫人ふじんの塚といふ。時平大臣夫婦の塚此地にあるべき由縁いはれなきことは論におよばざる俗説ぞくせつなり。
……何んぼ何んでも、菅原の芝居やおまへんで、櫻丸や菅秀才くわんしうさいが出て來てたまるもんか。……わたへは憎まれ役やさかい、差し當り時平しへい公か松王ちふとこや。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
侍従の君のことが原因で病死したと云う今昔こんじゃくの記事に従えば、何となく平中の方が時平しへいより先に死んだような感じを受けるが、前掲の後撰集の詞書ことばがきなどを読むと
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
くらひふとつた時平しへいどんの尻こぶら、二つ三つ……」と左手ひだりの拳で右の二の腕を打つところがある。それを菊之丞がういふかは幕内の面白い問題となつてゐた。
所のつたへに大なるを時平しへいの塚とし、小なるを時平の夫人ふじんの塚といふ。時平大臣夫婦の塚此地にあるべき由縁いはれなきことは論におよばざる俗説ぞくせつなり。
北の方を乗せた時平しへいの車がともの人数を従えて去って行くのを見送ったまでは、幾分か意識がはっきりしていたけれども、車の影が見えなくなると、にわかに緊張がゆるんだせいか
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
○さて御若年より数階すかい給ひて後、寛平くわんびやう九年御年五十三権大納言右□将をかねらる。此時時平しへい大納言ににんぜられ左□将を兼、 菅神と並び立て執政しつせいたり。
平中へいじゅう時平しへい、及びその子孫たちの後日譚ごじつたんはあらまし以上の如くであるが、あの可哀そうな老大納言と、彼が夫人在原氏の腹にもうけた子の滋幹しげもとは、その後どうなったことであろうか。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
○さて御若年より数階すかい給ひて後、寛平くわんびやう九年御年五十三権大納言右□将をかねらる。此時時平しへい大納言ににんぜられ左□将を兼、 菅神と並び立て執政しつせいたり。