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時平
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しへい
ふりがな文庫
“
時平
(
しへい
)” の例文
所の
伝
(
つた
)
へに大なるを
時平
(
しへい
)
の塚とし、小なるを時平の
夫人
(
ふじん
)
の塚といふ。時平大臣夫婦の塚此地に
在
(
ある
)
べき
由縁
(
いはれ
)
なきことは論におよばざる
俗説
(
ぞくせつ
)
なり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
……何んぼ何んでも、菅原の芝居やおまへんで、櫻丸や
菅秀才
(
くわんしうさい
)
が出て來て
耐
(
たま
)
るもんか。……わたへは憎まれ役やさかい、差し當り
時平
(
しへい
)
公か松王ちふとこや。
天満宮
(旧字旧仮名)
/
上司小剣
(著)
侍従の君のことが原因で病死したと云う
今昔
(
こんじゃく
)
の記事に従えば、何となく平中の方が
時平
(
しへい
)
より先に死んだような感じを受けるが、前掲の後撰集の
詞書
(
ことばがき
)
などを読むと
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「
喰
(
くら
)
ひふとつた
時平
(
しへい
)
どんの尻こぶら、二つ三つ……」と
左手
(
ひだり
)
の拳で右の二の腕を打つところがある。それを菊之丞が
何
(
ど
)
ういふかは幕内の面白い問題となつてゐた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
所の
伝
(
つた
)
へに大なるを
時平
(
しへい
)
の塚とし、小なるを時平の
夫人
(
ふじん
)
の塚といふ。時平大臣夫婦の塚此地に
在
(
ある
)
べき
由縁
(
いはれ
)
なきことは論におよばざる
俗説
(
ぞくせつ
)
なり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
▼ もっと見る
北の方を乗せた
時平
(
しへい
)
の車が
供
(
とも
)
の人数を従えて去って行くのを見送ったまでは、幾分か意識がはっきりしていたけれども、車の影が見えなくなると、
俄
(
にわ
)
かに緊張が
弛
(
ゆる
)
んだせいか
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
○さて御若年より
数階
(
すかい
)
を
歴
(
へ
)
給ひて後、
寛平
(
くわんびやう
)
九年御年五十三権大納言右□将を
兼
(
かね
)
らる。此時
時平
(
しへい
)
大納言に
任
(
にん
)
ぜられ左□将を兼、 菅神と並び立て
執政
(
しつせい
)
たり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
平中
(
へいじゅう
)
、
時平
(
しへい
)
、及びその子孫たちの
後日譚
(
ごじつたん
)
はあらまし以上の如くであるが、あの可哀そうな老大納言と、彼が夫人在原氏の腹に
儲
(
もう
)
けた子の
滋幹
(
しげもと
)
は、その後どうなったことであろうか。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
○さて御若年より
数階
(
すかい
)
を
歴
(
へ
)
給ひて後、
寛平
(
くわんびやう
)
九年御年五十三権大納言右□将を
兼
(
かね
)
らる。此時
時平
(
しへい
)
大納言に
任
(
にん
)
ぜられ左□将を兼、 菅神と並び立て
執政
(
しつせい
)
たり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
時
常用漢字
小2
部首:⽇
10画
平
常用漢字
小3
部首:⼲
5画
“時平”で始まる語句
時平公
時平大臣
時平屋敷