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斷絶
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だんぜつ
勤めし家なり然るに平助は四十の歳を
越と雖も未だ一子なく家名の
斷絶せん事を歎き
親類どもと
相談の上小十人組頭金松善四郎とて高七百石を
一つは
多少慈愛に引かれた
結果もあツたが、
更に其の
奥を探ツたら、周三を
遂ツて了ツては
血統斷絶の打撃となるから、出來ぬ我慢をして
左に
右周三の
意志を
尊重することにした。子爵は
諦めたのだ。
失はるゝ時は嘉川の御家名
斷絶せん事
必定なり如何はせんと兩人
竊に
額を
三人迄取りけれ共皆離縁になり其後惡き者と
欠落し母方の
跡は
斷絶せり此外には親類もあらざれば母は
臨終の時傳吉に向ひ我が妹お早は其方の爲に實の
叔母なれども
先年村を
欠落なし今は其の
在家を