政柄せいへい)” の例文
多分江戸で白河樂翁侯が政柄せいへいを執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院ちおんゐんの櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
高瀬舟 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
紀元前八十八年ズルラ政柄せいへいを得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一内訌ないこう是なり。
後日私に継いで政柄せいへいを執り、琉球にかねたがをはめるのはこの児であろうといったとの伝承がございますが、この寧馨児ねいけいじこそは他日薩州と琉球とを融和させた所の羽地按司はねじあんじ向象賢であります。
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
としこそ七十ぢかいとは申せまだまだおさかんな頃で、かねがね五山の学衆の、或いは風流韻事にながれ或いは俗事政柄せいへいにはしって、学道をおろそかにする風のあるのを痛くお嘆き遊ばされて
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
たぶん江戸で白河楽翁侯しらかわらくおうこう政柄せいへいを執っていた寛政のころででもあっただろう。智恩院ちおんいんの桜が入相いりあいの鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
としこそ七十ぢかいとは申せまだまだおさかんな頃で、かねがね五山の学衆の、或ひは風流韻事にながれ或ひは俗事政柄せいへいにはしつて、学道をおろそかにする風のあるのを痛くお嘆き遊ばされて
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)