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攝津守
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せつつのかみ
天正六年に荒木
攝津守村重が攝津國
伊丹の有岡城に
籠つて織田信長に
背いた。其時孝高は村重を
諫めに有岡城に往つて、村重に生け捕られた。
この
人のいふのだからあてには
成らないが、いま
座敷うけの
新講談で
評判の
鳥逕子のお
父さんは、
千石取の
旗下で、
攝津守、
有鎭とかいて
有鎭とよむ。
そのお
父さんを
知つて
居るが、
攝津守だか、
有鎭だか、こゝが
柳川の
説だから
當には
成らない。その
攝津守が、
私の
知つてる
頃は、五十七八の
年配、
人品なものであつた。