延宝えんぽう)” の例文
西鶴は俳諧師で、三十八の歳延宝えんぽう八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享じょうきょう元年に二万三千五百句を一日一夜のうちによんだ。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
世潮はとうとうと華奢かしゃ淫逸へながれてゆくのを見ながら、承応じょうおう万治まんじ延宝えんぽうなどのあいだは、一般にただ懐疑的であったといえる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
漢語は延宝えんぽう天和てんなの間其角きかく一派が濫用してついにその調和を得ず、其角すらこれより後、また用ゐざりしもの、蕪村に至りてはじめて成功を得たり。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
港が小さくて漁船以外に出入することができないので、藩では延宝えんぽう五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を開設することになり、権兵衛を挙げて普請奉行にしたのであった。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
本州の北端では津軽領つがるりょう某浦ぼううらに、延宝えんぽう七年(一六七九)の四月、浦人うらびと磯山のいただきに登って海上を見渡し、おびただしくいわしの寄るように見えたので、漁船を催して網を下げ、引揚げて見たところが
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
寛文かんぶん延宝えんぽう以降時勢と共に俳優の演技ようやく進歩し、戯曲またやや複雑となるに従ひ、演劇は次第に純然たる芸術的品位を帯び昔日せきじつの如く娼婦娼童の舞踊に等しき不名誉なる性質の幾分を脱するに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
漢語は延宝えんぽう天和てんなの間其角一派が濫用してついにその調和を得ず、其角すらこれより後、また用いざりしもの、蕪村に至りてはじめて成功を得たり。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)