平泉ひらいずみ)” の例文
ことに寛永の初年に陸中平泉ひらいずみの古戦場に近い山中で、仙台の藩士小野太左衛門が行逢ゆきあうたというのは、よほど怪しい常陸坊であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奥の道は、いよいよ深きにつけて、空はいやが上に曇った。けれども、こころざ平泉ひらいずみに着いた時は、幸いに雨はなかった。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「——奥州平泉ひらいずみの豪族が、おごり振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担かたんの下地でなくて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大きな地域を有つ県で、昔は南部なんぶ領でありました。更にさかのぼれば藤原一門の文化が栄えた所で、有名な平泉ひらいずみの「金色堂こんじきどう」は、その栄華の夢の跡を語ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
平泉ひらいずみの旧跡はなるほど景勝の地である。都市というものの発達するに恰好かっこうな条件を具えていて、しかもそれが極めて小規模な地形であるのは面白いと思われた。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
もちろん平泉ひらいずみには相当の仏師もいたのですが、今までのが優れた作であるだけに、それに劣らないような腕前の職人を物色するということになると、なかなか適当の人間が見あたらない。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
備前から四国にわたり、おもに讃岐さぬきにいて、筑紫つくしまで行ったようだ。六十九歳になって再び伊勢に行き、そこから東海道を鎌倉に出て頼朝に謁し、はるか奥州平泉ひらいずみまで藤原秀衡ひでひらに会いに行った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
衣川ころもがわといえば誰も歴史に覚えがあろう。近くの平泉ひらいずみ金色堂こんじきどうの名において、藤原三代の栄華えいがの跡を語っている。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「おれかい。——いやおれはお使い役の木っ葉天狗さ。ご本尊は奥州の平泉ひらいずみにいらっしゃる」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)