山代やましろ)” の例文
今日食べたたくあんは、加賀の山代やましろでできたものである。わたしの知っているかぎりでは、山代産のたくあんが一等よいものだと思う。
沢庵 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
その山代やましろのオホツツキマワカの王は弟君イリネの王の女の丹波たんばのアヂサハ姫と結婚して生んだ御子は、カニメイカヅチの王です。
それは人目にもわかる程だったので、むしろ幸いにして、主君にいとまを乞い、山代やましろの温泉へ行って、やまいよりはむしろ心のうつを忘れようとしていた。そして
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この渓流の下流の所に、山代やましろという温泉と大聖寺だいしょうじという人口一万ばかりの町がある。この二つが古い九谷焼の面影の幾分残っている産地なのである。私の故郷はこのすぐ近くである。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
左の肩に、正しく貼られた切手には、ハッキリとした「山代やましろ局」の消印があった。
仙人掌の花 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
客が、加賀国山代やましろ温泉のこの近江屋おうみやへ着いたのは、当日ひる少し下る頃だった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「それからあの奥に吉野谷よしのだにという仙境があるだろう。子供の時分遠足に行ったことがあるんで、一度行ってみようと思いながら、いつもどこへも行かずに帰ってしまうんだ。まだ山代やましろさえ知らないくらいだ」
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
また山代やましろのククマモリ姫と結婚してお生みになつた御子はアシカガミワケの王お一方です。またある妻の子は、オキナガタワケの王です。
加賀山代やましろ温泉場のいわゆる、九谷窯の某氏(職商いをなす人)との妥協になるいわば一挙両得を考慮した築窯である。
園阿をともなって、彼はまた、山代やましろ温泉の客舎へもどった。園阿は元より気ままな身であった。——随所楽ずいしょにたのしむ——という姿で、そこでも里の人々からすぐ慕われていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また山代やましろ大國おおくにのフチの女のカリバタトベと結婚してお生みになつた御子はオチワケの王・イカタラシ彦の王・イトシワケの王のお三方です。
すなはち宮に入りまさずて、その御船を引ききて、堀江にさかのぼらして、河のまにまに山代やましろに上りいでましき。この時に歌よみしたまひしく
またその母の弟袁祁都をけつ比賣の命に娶ひて、生みませる子、山代やましろ大筒木おほつつき眞若まわかの王、次に比古意須ひこおすの王、次に伊理泥いりねの王三柱。およそ日子坐ひこいますの王の子、并はせて十五王とをまりいつはしら
この二柱の王の女、五柱ましき。次に日子坐ひこいますの王、山代やましろ荏名津えなつ比賣、またの名は苅幡戸辨かりはたとべに娶ひて生みませる子、大俣おほまたの王、次に小俣をまたの王、次に志夫美しぶみ宿禰すくねの王三柱。