定禅じょうぜん)” の例文
げんに、刻々と兵庫、摂津方面からせまって来る四国の細川定禅じょうぜん(足利一族)、山陽、山陰の武族など、みなそれの呼応こおうで起ったものだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
島々の蔭で尊氏を待っていたのは、讃岐さぬきの土岐一族、伊予の河野党、高松の細川定禅じょうぜんなど、かねがね今日を待機していた四国の味方だったのである。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その艨艟もうどうの中にある細川定禅じょうぜんの船上では、定禅をめぐッて、四国党の諸将が、はなはだしく、憤慨していた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この水軍の先陣は、細川定禅じょうぜんを大将として、弟の帯刀先生たてわきせんじょう、ほか四国諸党の、およそ五百余そう——
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏は、軍鼓ぐんこの武士をこう励ました。かねつづみ、ささらの如き打棒だぼう、あらゆる鼓舞こぶ殺陣楽さつじんがくが、彼のお座船ばかりでなく、定禅じょうぜんやほかの船上でも狂気のようにとどろき鳴る。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山路を降り、明石の大蔵谷へ行きつくと、この方面、垂水たるみ、須磨、兵庫へかけては、たくさんな味方が落ち合っているのがわかった。こう師直もろなお師泰もろやす。赤松円心。細川定禅じょうぜん
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ、尊氏の麾下きか、細川定禅じょうぜんの軍が、瀬田の直義に代って、今朝から入った。——法城を軍城として、坂本へせる気勢をみせているという。叡山もまた、当然に、城塞化した。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)