定番ぢやうばん)” の例文
これは京橋口定番ぢやうばん米津丹後守昌寿よねづたんごのかみまさひさが、去年十一月に任命せられて、まだ到着せぬので、京橋口も遠藤があづかりになつてゐるからである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
わたくしは舊幕府の家來で、十七の時に京都二でうの城(今の離宮)の定番ぢやうばんといふものになつて行つた。江戸を立つたのが、元治ぐわんぢ元年の九月で、例の蛤御門はまぐりごもんたゝかいのあつてから二個月かげつのちの事である。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
自身番じしんばんへ知らせてやら早々さう/\人や出來らん其時一しよに見ながら通らん是は如何にといひければ如何にも夫は面白おもしろしと二人はすぐ番屋ばんやに至り大聲揚て告けるは御町内に人殺あり早くいつて見らるべしとの知らせに自身番の宿直とまりの人は大いに驚き定番ぢやうばんの者を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
玉造口定番ぢやうばんの詰所はたつみに開いてゐる。玉造口の北側である。此門は定番遠藤が守つてゐる。これに高槻の手が加はり、後には郡山こほりやまの三番手も同じ所に附けられた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
土井は両町奉行に出馬を命じ、同時に目附中川半左衛門、犬塚太郎左衛門を陰謀の偵察、与党の逮捕に任じて置いて、昼四つどき定番ぢやうばん大番おほばん加番かばんの面々を呼び集めた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
寄手は定番ぢやうばんを殘して引き取つた。次いで城内の使が來て、見知人をよこすから、兩夫人を見せてくれと云つた。利安は一應、さむらひの女房の面吟味おもてぎんみはさせられぬ、とことわつた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)