宗治むねはる)” の例文
すると、高松城の守将、清水長左衛門宗治むねはるだけは、ひとりその挨拶を欠いて、自分だけはべつなことばで、その拝領物はいりょうものにこたえた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清水宗治むねはるが高松落城の際の遺言状に算用の重んずべきことを記したこと、秀吉が算家毛利重能しげよしを明に留学させたというのは事実かどうか知らぬけれども、ともかく重能を登用したこと
なぜならば、敵の守将清水宗治むねはるは、籠城と同時に、農民の家族五百余を、城内へ収容していたし、また領外へ分散したものも少なくない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「招降の儀は、不調に終りました。さすが宗治むねはるの決意は、固うござります。これ以上、いかにお手をくだいても、談合は無用と存ぜられます」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城主宗治むねはるの切腹さえ確約あるならば、五ヵ国移譲いじょうの条件のほうは、いささかなりとも、殿へおねがい申して、こちらも譲歩をお示しいたそう。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛利家の被官ひかん、清水長左衛門宗治むねはるが、わずか五千の士卒や農兵と共に、餓死がししてもと、死守している敵城なのであった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう意味の墨付すみつきで、すなわち信長から高松城の守将、清水長左衛門宗治むねはるへあてて示すものであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天正てんしょう十年、秀吉が中国の高松城を水攻めにした折も、孤城五千の部下の生命いのちに代って、濁水だくすいの湖心に一舟いっしゅううかべ、両軍の見まもる中で切腹した清水長左衛門宗治むねはる
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それへお渡りありしは、高松城の守将、清水宗治むねはるどのでございますか」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昨年来、信長公の命をうけて、御幕下の将校、羽柴はしば筑前守秀吉は、中国に攻め入って、この春以来、備中びっちゅう高松城の清水宗治むねはるの頑強な抵抗にくいとめられ、遠征の軍馬は、攻めあぐねているていであった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高松城のさむらいたちは、次々に主人宗治むねはるの前へ出て死を願った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城将清水宗治むねはるの助命。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)