“むねはる”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
宗治66.7%
宗春33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
なぜならば、敵の守将清水宗治むねはるは、籠城と同時に、農民の家族五百余を、城内へ収容していたし、また領外へ分散したものも少なくない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「招降の儀は、不調に終りました。さすが宗治むねはるの決意は、固うござります。これ以上、いかにお手をくだいても、談合は無用と存ぜられます」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
徳川というものに反逆させたのが光圀みつくにでありとすれば、尾張を、徳川家から去勢させたのが宗春むねはるだ——宗春以後の尾張は、華奢きゃしゃと、遊蕩ゆうとうと、算盤そろばんとの尾張だ
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)