宗春むねはる)” の例文
宗春むねはると改名して寛文十二年に病死した。景一の六男又次郎は京都に住んでいて、播磨国はりまのくにの佐野官十郎の孫市郎左衛門を養子にした。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お金の方の指南で、大膳正は何時いつの間にやら、曾ての柳原式部正やなぎわらしきぶのしょうの徳川宗春むねはるのような、通人大名になりすましていたのです。
徳川というものに反逆させたのが光圀みつくにでありとすれば、尾張を、徳川家から去勢させたのが宗春むねはるだ——宗春以後の尾張は、華奢きゃしゃと、遊蕩ゆうとうと、算盤そろばんとの尾張だ
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)