内匠頭たくみのかみ)” の例文
松浦侯の三ツぼしの家紋のついた幕舎の床几に、老中阿部対馬、牧野内匠頭たくみのかみ、堀内加賀、目付兼松五郎左衛門、松浦侯などがいた。
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
内匠頭たくみのかみ従兄弟いとこが美濃大垣の城主にあたるから、それか、芸州藩か、さもなければ、勅使に礼をいた件で、京都へのぼる公儀の急使か。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松の間の廊下で、上野介はその日の饗応きょうおう役、浅野内匠頭たくみのかみから、だしぬけに斬りつけられたのである。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
もとより躋寿館に勤仕する医者には、当時奥医師になっていた建部たけべ内匠頭たくみのかみ政醇まさあつ家来辻元崧庵つじもとしゅうあんの如く目見めみえの栄に浴する前例はあったが、抽斎にさきだって伊沢榛軒しんけんが目見をした時には
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
群衆は感の一致から妄従妄動するもので、浅野内匠頭たくみのかみの家はつぶされ城は召上げられると聞いた時、一二が籠城して戦死しようと云へば、皆争つて籠城戦死しようとしたのが即ち群衆心理である。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
内匠頭たくみのかみは、玄関を上ると、すぐ
吉良上野の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「赤穂の浪人たちが、今にここを通るとさ。それ、去年の春、松の廊下で大騒動を起した、浅野内匠頭たくみのかみ様の御家来たちだよ」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内匠頭たくみのかみは、早起だった。いつでも、うまやに気の荒い愛馬の脚ひびきがし出す頃には、風呂ふろ所から上って、祖先の仏間に礼拝しているのが常である。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内匠頭たくみのかみは、脇息きょうそくから、空を見ていた。いや、遠い国許くにもとの、塩焼く浜の煙を、思い出しているひとみであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『主人内匠頭たくみのかみに代って、饗応役に就かれる戸田能登守どの御家中に申し入れる。什器一切、引払いました故、お引継ねがいたい。後役の御就任、ご苦労に存じます』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とまれ、上下とも、多少の不良性をおびない者はなく、真ッ直に世を歩けば、この春の、浅野内匠頭たくみのかみになるとは——あの事件についても、世間のよくいったことだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
へえ。ははあ。さては……でございますね。成程、それじゃぜひ鷹の羽でなけりゃあいけますまい、だが、まさか浅野内匠頭たくみのかみのとおりでも困りますから、何とか鷹の羽を
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「真ッ直に歩けば人につき当り——サ。浅野内匠頭たくみのかみは大馬鹿だという者もたくさんあった」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのよい手本が吉良殿と内匠頭たくみのかみ殿のいきさつじゃ。赤穂の浪士たちがした事は、御主君の仇をうったのみか、腐れきったこの世相と人心の眼をまさせたものと伝右衛門は考えまする。
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内匠頭たくみのかみの小姓に上ったのが奉公の初めで、浪士のうちの多数は、軽輩けいはいでも、二代、三代の重恩をうけているが、十郎左などは、君家には、極めて、御恩の浅い方で、復讐に加盟しなくとも、誰も
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)