余蘊ようん)” の例文
道元のいわゆる「法」が、人類の文化の根源でありまた目標であるところの一つのものを、余蘊ようんなく意味しているか否かは別問題である。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
なんじをして、欧洲立憲各国に至り、其の政府又は碩学せきがくの士と相接して、其の組織及び実際の情形に至るまで観察して、余蘊ようんなからしめんとす。
真個しんこ関西志士のさきがけ、英風我が邦を鼓舞し来れり」。これ彼が高弟高杉晋作の彼を賛するの辞、言いつくして余蘊ようんなし。まことにこれ彼が事業の断案といわざるべからず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
は、この事情を明快に指摘して、余蘊ようんがない。
示して余蘊ようんなからしめたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
額田王ぬかたのおおきみに送って千載せんざいの後に物議の種を残した有名な恋歌「紫のにおへるいもを憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋めやも、」の一首は、帝の情熱的な性質を語って余蘊ようんがない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
孔子の回に対する愛情を表現して余蘊ようんがない。また同じ篇に
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)