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中山道
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なかせんどう
ふりがな文庫
“
中山道
(
なかせんどう
)” の例文
枕山は横山湖山その他の詩人と共に星巌を送って板橋駅に到って
袂
(
たもと
)
を分った。星巌は道を
中山道
(
なかせんどう
)
に取って
美濃
(
みの
)
に還らんとしたのである。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
この高原の嶺を境にして、道は甲州、
中山道
(
なかせんどう
)
、北国街道の三方にわかれているし、水はみな北へ
駛
(
はし
)
って、越後の海へ落ちてゆく。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
随処の名士に接し、随処の歴史的古跡、随処の勝区を訪尋し、
中山道
(
なかせんどう
)
を経、六月一日を以て江戸に達せり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
御案内しましたが、あそこで軍議が二派に別れて、薩長はどこまでも
中山道
(
なかせんどう
)
を押して行こうとする、土佐は甲州方面の
鎮撫
(
ちんぶ
)
を主張する——いや、はや、
大
(
おお
)
やかまし。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
と皆々腕を
撫
(
さす
)
って居りまする。さて
中山道
(
なかせんどう
)
高崎より渋川、金井、横堀、塚原、
相俣
(
あいまた
)
より猿が原の関所を越えて永井の
宿
(
しゅく
)
、これを俗に
三宿
(
さんしゅく
)
と申しまして、そろ/\
難所
(
なんじょ
)
へかゝります。
後の業平文治
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
▼ もっと見る
忘れるともなく話に
紛
(
まぎ
)
れて、やがて
旅籠
(
はたご
)
を立ち出ると、この二人も、
中山道
(
なかせんどう
)
を往還する旅人の流れの中に交じって行く。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
苦
(
にが
)
い反省を抱きつつ歩いているのだ。——木曾、
中山道
(
なかせんどう
)
から江戸へと志して、その江戸にはいること僅か数日で、再び
陸奥
(
みちのく
)
の旅へ去った彼であった。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
和田峠に
薬草採
(
くすりと
)
りの小屋を懸けて、
中山道
(
なかせんどう
)
を往来する旅の者を
殺
(
あや
)
めては、慾を満たしていた頃はまだよかったが——
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とばかり、女を荷馬の背へ押し上げて、あとも見ずに、
中山道
(
なかせんどう
)
を東へ急いでしまった——と花夜叉は語り終って
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ぜひなく彼は
柏坂
(
かしわざか
)
の麓から道をかえて
中山道
(
なかせんどう
)
へ廻ったが、このことは、だいぶ旅行中の評判になった。ずっと後に書かれた「
三河後風土記
(
みかわごふどき
)
」の筆者など
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
木曾路の新緑を浴びて、
中山道
(
なかせんどう
)
を牛の足にまかせて行く。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『
中山道
(
なかせんどう
)
を取ってか』
夏虫行燈
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“中山道”の解説
中山道(なかせんどう)は、江戸時代に整備された五街道の1つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。
中仙道、仲仙道とも表記するほか、木曽街道や木曽路の異称も有した。
(出典:Wikipedia)
中
常用漢字
小1
部首:⼁
4画
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
道
常用漢字
小2
部首:⾡
12画
“中山道”で始まる語句
中山道口