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万里小路
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までのこうじ
ふりがな文庫
“
万里小路
(
までのこうじ
)” の例文
「あねぎみが、ここでご思案などとは、おそいくらいですよ。
万里小路
(
までのこうじ
)
どのですら、心痛の余り、主上へご諫言したといわれているのに」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伝うる所によれば、諸国から恩賞を請うて入洛し、
万里小路
(
までのこうじ
)
坊門の恩賞局に殺到する武士の数は、引きも切らなかったと言う。
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から話を持ちかけられた
万里小路
(
までのこうじ
)
大納言
惟房
(
これふさ
)
は、おまえ大変なことを言う、さても、困った、困った、と言った。
織田信長
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
そのうち、京都の
万里小路
(
までのこうじ
)
というお
公卿
(
くげ
)
のお姫さまの
殺手姫
(
さでひめ
)
さまというお方にお見知りをいただき、その後二度三度、
大音寺
(
だいおんじ
)
前の
田川屋
(
たがわや
)
や
三谷橋
(
さんやばし
)
の
八百善
(
やおぜん
)
などでお目にかかっておりました。
平賀源内捕物帳:萩寺の女
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
万里小路
(
までのこうじ
)
中納言
藤房
(
ふじふさ
)
卿が、数年前に建てた館で、山屋敷の一つであったが、この裏山が
魑魅魍魎
(
ちみもうりょう
)
——流浪人や猟師や山賊や乞食、そういうものの巣窟となって美しい風景を
穢
(
けが
)
し出して以来
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
▼ もっと見る
だから、いくたび朝議にかけても一決せず、朝廷も裁決にこまって、ついに
実世
(
さねよ
)
を免官とし、大納言
万里小路
(
までのこうじ
)
藤房を、その任にあたらせた。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼らは、赤報隊と称して、錦の御旗を先頭に立て、二百人に近い同勢が、鎮撫使の
万里小路
(
までのこうじ
)
侍従を取り囲んでいた。
乱世
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
先に正直者の
万里小路
(
までのこうじ
)
藤房が、厭世的な気鬱に負けて、恩賞局を辞し去った気もちもわかる。そのひどさは「梅松論」なども
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「両宮のお使いです。花山院どのか、
万里小路
(
までのこうじ
)
どのでなくば、御直書、おわたしはできません」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
やがて、
土豪造
(
どごうづく
)
りの楠木家の古い
館
(
たち
)
のうちも、まったく人なきもののように、ひそまり返った。——すべての者が、遠くへ
退
(
さ
)
げられ、勅使、
万里小路
(
までのこうじ
)
藤房のいるところの
燭
(
しょく
)
だけが
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
旧高倉の将軍御所は義詮に渡して、二条
万里小路
(
までのこうじ
)
に去年造営されたものである。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これよりすぐ下山して、密かに禁中へ
罷
(
まか
)
り、
花山院
(
かざんいん
)
(大納言
師賢
(
もろかた
)
)か、
万里小路
(
までのこうじ
)
(
宣房
(
のぶふさ
)
)へこの二通を手わたし、時を
措
(
お
)
かず、
奏聞
(
そうもん
)
に達せよと、くれぐれ申せ。——よいか、書中は重大だぞ
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“万里小路(柳馬場通)”の解説
柳馬場通(やなぎのばんばどおり)は、京都市内の南北の通りの一つ。北は丸太町通から南は五条通まで。平安京の万里小路(までのこうじ)にあたる。
(出典:Wikipedia)
万
常用漢字
小2
部首:⼀
3画
里
常用漢字
小2
部首:⾥
7画
小
常用漢字
小1
部首:⼩
3画
路
常用漢字
小3
部首:⾜
13画
“万里小路”で始まる語句
万里小路宣房
万里小路藤房
万里小路惟房卿
万里小路中納言惟房