七尾ななお)” の例文
等伯は能登七尾ななおの人で、京都へ出て狩野派を学んだがあきたらず、雪舟第五世を自称して水墨画にはげみ、かつ最も牧谿もくけいに私淑した。
氏はその一一一六六六という番号を基調に、間もなく彼女が子爵脇坂わきざか夫人であり、かの老人が家付きの七尾ななお医師であることを知った。
地図にない街 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
「……お見忘れでございましょうか。私は八年前に、七尾ななおの御城下であなた様に救われた浪人者の父子のひとりでございます」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四月二十六日 能登、七尾ななおに向ふ。柏翠、坤者同乗。七尾公園、七尾俳句会。和倉、加賀屋泊り。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
又左の所領、能登のと七尾ななおの十九万石も、子息利長の領地越前府中の三万石も、共に、御当家の領国と、われら腹心の者の城々に囲まれておりまする。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
能登のと七尾ななおの冬はすみうき 兆
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
能州のうしゅう末森城すえもりじょうは、敵の七尾ななお金沢かなざわをむすぶ街道第一の要害。——津幡つばた鳥越とりごえなどの小城を幾つ踏みつぶすよりも、そこ一つの方が、はるかにまさるぞ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここ尾山城に、この一火があがると、北は、小坂、吉原、二日市ふつかいち津幡つばたへと、能登のと七尾ななおにいたるまで。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
能登のと七尾ななおに一城、この府中に一城、父子両方で二十二万石の雄藩をなしているが、清洲時代の貧乏は、隣の藤吉郎の家にも負けないくるしさで、米の一升借りはおろか、塩の一握りや
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平野へ下るのかと思うと、七尾ななお村から伊吹へ向って、山道を登りはじめた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
利家は能登のと七尾ななおへ、成政は越中の富山へ。そして勝家は北ノ庄にひとまず旗を収めたが、かかるあいだの各人の天下観も、自己の処する方針も、箇々同じものでなかったろうことは想像に難くない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御書面をもたせ、先刻、七尾ななおへ向って急がせましたが」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)