一滴ひとしずく)” の例文
そそけがみの頭をあげて、母は幾日か夢に描きつづけた一男の顔を、じっと眺めた。涙が一滴ひとしずく、やつれた頬をつたって、枕のきれぬらした。
秋空晴れて (新字新仮名) / 吉田甲子太郎(著)
心もあのかおばせのようにいつくしく、われにあだし心おこさせたまわず、世のたのしみをば失いぬれど、幾百年の間いやしき血一滴ひとしずくまぜしことなき家のほまれはすくいぬ
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と、熊楠は、十方の山脈をふと見わたして、一滴ひとしずく、侍の道のさびしさを、大きなよろこびの後の睫毛まつげにたたえた。
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相変らずの油照あぶらでり、手も顔もうひりひりする。残少なの水も一滴残さず飲干して了った。かわいて渇いて耐えられぬので、一滴ひとしずく甞めるつもりで、おもわずガブリと皆飲んだのだ。
無謀の軍を起こされし果て今日の非運を見給うはまことに無残の限りであると、ちょっと首級桶をいただいてホロリと一滴ひとしずくこぼしたそうで、これを聞いた武田の遺臣ども、武骨者だけに感激するのも早く
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
心もあのかおばせのやうにいつくしく、われにあだし心おこさせ玉はず、世のたのしみをば失ひぬれど、幾百年いくももとせの間いやしき血一滴ひとしずくまぜしことなき家のほまれはすくひぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
女の子はただ言葉なく出でゆくを、満堂の百眼ひゃくまなこ一滴ひとしずくの涙なく見送りぬ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)