“さかのうえのたむらまろ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句 | 割合 |
坂上田村麿 | 60.0% |
坂上田村麻呂 | 40.0% |
わが名は
坂上田村麿、
鎮西八郎為朝、降っては遠州森の石松などと、喧嘩に強い男を以て任じているだけに、そこは僕も心強い気がして、秘かに頼みにしていたのだが、
豈はからんや
決して
坂上田村麻呂が
悪路王を征討した、いわゆる大同二年ごろからすでに東北の雪国に、あったわけでもないのである。
この
京都の
町を
一目に
見晴らす
高い山の上のお
墓に
埋められている人は、
坂上田村麻呂という
昔の
名高い
将軍です。
坂上田村麻呂は
今から千
年余りも
昔、
桓武天皇が
京都にはじめて
御所をお
造りになったころ、
天子さまのお
供をして
奈良の
都から
京の
都へ
移って
来たうちの
一人でした。