かん)” の例文
わしはあのかんが好きでなア、斯漢愚漢このかんぐかんと書いてありさうなひろい額を見ながら、默つて煙草を吸うてゐるだけで、氣持が好かつたわい。
ごりがん (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
南滿洲みなみまんしゆうには、やはり石器時代頃せつきじだいころからすでに人間にんげんんでをりましたが、しゆうすゑからかんはじめに支那人しなじんさかんに植民しよくみんしてゐたのです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
おもふに、ゑがける美人びじんは、ける醜女しうぢよよりもなりつたく、かん武帝ぶてい宮人きうじん麗娟りけんとしはじめて十四。たまはだへつややかにしてしろく、うるほふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かん武帝ぶていが常に匈奴に苦しめられ、始皇しこうが六国を亡ぼしても北部の蕃族、即ち匈奴を防ぐがために万里ばんり長城ちょうじょうを築くという有様であった。
東亜の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらはかんはおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
この辺は、かん高祖こうその大軍をやぶった古戦場である。またかの有名な項羽こうう虞美人ぐびじんが最期の悲涙を濡らして相ようした烏江うこう夜陣やじんのあとも近い。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯、得難きは当年のル・メルキウルに、象徴主義の大旆たいはいてしが如き英霊底えいれいていかん一ダアスのみ。(一月二十六日)
つみばつ」はじつにこの險惡けんあくなる性質せいしつ苦慘くさん實况じつけうを、一個いつこのヒポコンデリアかんうへ直寫ちよくしやしたるものなるべし。
罪と罰(内田不知庵訳) (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
数代の単于に従ってかんと戦ってはきたが、まだ李陵ほどの手強てごわい敵にったことはないと正直に語り、陵の祖父李広りこうの名を引合いに出して陵の善戦をめた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
足利あしかが時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。漢詩にてはかん六朝りくちょうは万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少くまたたるみても悪しからず。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
かん高祖こうそ丁公ていこうりくし、しん康煕こうき帝がみん末の遺臣いしん擯斥ひんせきし、日本にては織田信長おだのぶなが武田勝頼たけだかつより奸臣かんしん、すなわちその主人を織田に売らんとしたる小山田義国おやまだよしくにはいちゅう
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その以来再び世間に出ようともせず、子々孫々ここに平和の歳月としつきを送っているので、世間のことはなんにも知らない。秦のほろびた事も知らない。かんおこったことも知らない。
ターン・テーブルのレコードは裏返しにされて、あらたに針はおろされました、が、ちんぷんかんぷんは同じことで、三分余りの長広舌も、結局何を言ってるのか少しもわかりません。
「そもそもこれはかん沛公はいこう函谷関かんこくかんを越ゆるときに二つにった白蛇の子孫でござい」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
真正なる孔孟の教を知らんとするにはまず宋儒の説を排斥し唐以前かんの古文について研究すべきである。この研究にはまず古文を読むべき階梯かいていとして古文辞を修めなければならない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
以て重過料おもくくわれう申付ると有て此事はまづ双方さうはう落着らくちやくに及びけるがまことに越前守殿ならずば斯手早く黒白も判るまじと人々申合りしとぞ昔時むかし唐土もろこしかんの代に是とよく似たることあり趙氏てうしつま若き時夫を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
門人かけんか見え候故、しばらく話し申候。寝てゐる程の事にもあらず候。このかん学問もあり画もよく候。逢不申残念に御坐候。私気色は春よりいろ/\あしく候。然ども浪食もとのごとくに候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
老子らうし隱君子いんくんしなり。老子らうしそうそうしやうり、段干だんかんほうぜらる。そうちうちうきうきう玄孫げんそんかん孝文帝かうぶんていつかふ。しかうしてかい膠西王卬かうせいわうかう(一六)太傅たいふる。
かん光武くわうぶは一じつ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
古墳こふんからは、かんから六朝頃りくちようころまでのかゞみと、それを摸造もぞうした日本製につぽんせいかゞみとがるだけで、唐以後とういごかゞみはほとんど發見はつけんされないといつてもよろしい。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
なんの鋭さもない抗弁だが、高徳の吶々とつとつという言には、五郎と違うねばりがあった。ただのぼくとつかんとばかり彼を見ていた五郎は急に高徳を見直していた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
司馬氏はもとしゅうの史官であった。後、しんに入り、しんに仕え、かんの代となってから四代目の司馬談しばたんが武帝に仕えて建元けんげん年間に太史令たいしれいをつとめた。この談が遷の父である。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
かん桓帝くわんていとき劉褒りうはう雲漢うんかんゑがく、るものしよおぼゆ。また北風ほくふうゑがく、るものかんおぼゆ。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
かんの大将呂馬通りょばつうは、ただでさえ長い顔を、一層長くしながら、まばらひげを撫でて、こう云った。
英雄の器 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
口上こうじやうの筋はなか/\まとまつたもので、かん成帝せいていに寵愛を受けた美女飛燕のことなどを例に引いて、さて、燕女の身輕さの非凡なことを一とくさり、最後にその藝當の番組の數々を紹介して
それによりますと、かんはじごろ支那しな南方なんぽうしよくといふとほ地方ちほうで、つくつたものであることがわかるのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
しんの時代や、かんとうの頃にも、かの地から日本へ、多くの者が移住して来て、日本に帰化していること。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私の占いは擲銭卜てきせんぼくと云います。擲銭卜は昔かん京房けいぼうが、始めてぜいに代えて行ったとある。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かん武帝ぶてい天漢てんかん二年秋九月、騎都尉きとい李陵りりょうは歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣へんさいしゃりょしょうを発して北へ向かった。阿爾泰アルタイ山脈の東南端が戈壁沙漠ゴビさばくに没せんとする辺の磽确こうかくたる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「元、鄆城うんじょうの小役人、宋江です。かんの良臣のご子孫、お見知りおき下さい」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)