“周”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
まわ47.8%
しゅう12.1%
めぐ7.0%
まは6.4%
しう6.4%
あまね4.5%
めぐり3.8%
まわり1.9%
まはり1.9%
マハ1.9%
めぐら1.3%
マワリ1.3%
しゆう0.6%
メグ0.6%
あま0.6%
ぐる0.6%
0.6%
めぐる0.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
彼等がストオヴのまわりで、身仕度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。——中に支那人が一人交っていた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
ここは唐土もろこしで、自分はしゅう武王ぶおうの軍師で太公望たいこうぼうという者であると彼は名乗った。そうして、更にこういうことを説明して聞かせた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
八丁ばかり行くと鞍部、右手には、残雪に近く石垣をめぐらせる屋根なしの廃屋、此処は、燃料に遠く風も強くて露営には適せぬ。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
私の眼はおほはれ閉ぢられてあつた。渦卷く闇が私のまはりを流れるやうに思はれ、反省が黒い混亂した流れのやうに這入り込んで來た。
此後こののち杉村氏すぎむらしは、東京朝日とうきやうあさひ世界せかいしう會員くわいゐんともに、米國べいこくわたり、ボストンにてはからずモールス面會めんくわいし、余等よらとも大森貝塚發掘おほもりかひづかはつくつことかた
わが師答ふらく、死未だ彼に臨まず、また罪彼を苛責に導くにあらず、たゞその知ることあまねきをえんため 四六—四八
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
一三一上皇じやうくわう幸福さいはひいまだきず。重盛が忠信ちかづきがたし。今より一三二支干えとめぐりを待たば、重盛が命数よはひ既に尽きなん。かれせば一族の幸福さいはひ此の時に亡ぶべし。
兄はそう言って、子供のためのグラウンドのような場所のまわりにある、木陰のベンチに腰をおろして、たばこをふかしはじめた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
と無口な學士にしては、滅多と無い叮嚀な説明をして、ガチヤン、肉叉フオークナイフを皿の上に投出し、カナキンの手巾ハンケチあわただしく口のまはりを拭くのであツた。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
奈良の都には、まだ時をり、石城シキと謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符ダイジヤウグワンプで、其を家のマハりに造ることが、禁ぜられて來た。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
さしわたし三間ばかりにめぐらしたる高さ六七尺のまろき壇を雪にて作り、これに二処ふたところの上りだんを作る、これも雪にてする、里俗りぞくよんしろといふ。
そう思ったのだ——周章てて目のマワリをこすったのだが、模糊とした靄は一向に消えようともせず
南滿洲みなみまんしゆうには、やはり石器時代頃せつきじだいころからすでに人間にんげんんでをりましたが、しゆうすゑからかんはじめに支那人しなじんさかんに植民しよくみんしてゐたのです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
其に入りこみの多い池をメグらし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東のナカカド、西のナカカドまで備つて居る。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
足跡所謂天下にあまねく、見聞の範囲の極めて狭かった当時の一般民衆の間にあっては、彼らはことごとく天が下の事を知るの物識りであったのに相違ない。
当夜一度に二、三人ずつ女をあなうちに下すと、蛇神の名代たる二、三蛇ちおり、女巫みこが廟のぐるりを歌い踊り廻る間にこれと婚す。
わりを取巻いていた職工たちが、その揺れの拍子を捕えて、丁度足場の上へ押して行った。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
(冬は日南の方をめぐるゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也)我国初雪はつゆきる事おそきはやきとは、其年そのとし気運きうん寒暖かんだんにつれてひとしからずといへども