馬太マタイ)” の例文
な、人もしこれを得んと欲せばまずこれを捨てざるべからず(馬太マタイ伝十六章二十五節)、誠にまことにこの世は試錬の場所なり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
受難楽の全曲はビクターに聖バルトロマイ教会聖歌隊の「馬太マタイ伝による受難楽」が入っているが、演奏はあまりよくない。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
ひらかれたのは、モウ手癖のついてゐる例の馬太マタイ傳第二十七章である。智惠子は心を沈めて小聲に讀み出した。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
昔基督の山上に在りて言語もて説き給ひし法(馬太マタイ五至七)は、今此大匠によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。
書架から手擦てずれのした、羊皮表紙の新約全書を引ずり出した。盲目めくらさぐりに開くと、約幹伝ヨハネでんの十一章が出た、七節から読始めたが気も無く止した。又開けたのは馬太マタイ伝の六章、有名な山上の垂訓である。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
遂に彼等進み来り手をイエスにかけとらへぬ。——馬太マタイ伝廿六章
接吻 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
「あります……馬太マタイ伝と約翰ヨハネ伝の初めの方ぐらいのものです」
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ああ余も余の事業を見ること小児の玩弄物を見るがごとくなりし、余はここにおいて始めて基督の野のこころみの註解を得たり、馬太マタイ伝四章にいわく
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ひらかれたのは、モウ手癖のついてゐるいつも馬太マタイ伝第二十七章である。智恵子は心を沈めて小声に読み出した。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
聖パルトロマイ教会聖歌隊のバッハの『馬太マタイ伝による「受難楽」』は非常に期待されたレコードだが、オルガンの伴奏であったのと、教会のコーラスで練習不足らしいのが多少失望させた。
ああ余は余が佗人たにんをさばきしごとくさばかれたり(馬太マタイ七章一、二)、余も教会にありしうちは余の教会外の人を議するにあたってかくありしなり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
狂人しれものよという者は地獄の火に干るべしとある(馬太マタイ伝五章二十二節)即ち「我れ汝等に告げん、すべて人の言う所の虚しき言は審判さばきの日に之を訴えざるを得じ」