顕氏あきうじ)” の例文
細川顕氏あきうじは、さきに尊氏を去って、直義方へ付いた一将だが、嫌いな執事の師直ものぞかれたので、尊氏の許へ、お詫びにと、会いに行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の報を得た賊軍側は大いにおどろき、細川顕氏あきうじに軍を率いしめ、八月十九日に大阪天王寺を出発せしめて居るが、彼は泉州に於ける優勢な楠勢にはとても敵せぬと、京都に報告して居る。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
細川顕氏あきうじそむいて窮地の尊氏をさらに窮地におとし入れたのは二月十四日だった。四国もついに彼から離れたのである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、天王寺の敵、細川顕氏あきうじを破って、そこを占領したのは三月八日で、その八日九日は、ひどい雨だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細川顕氏あきうじ、上杉重能しげよし、畠山国清などで、それに少弐頼尚しょうによりひさも、陣のさきに立っていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、直義ただよしだの、こう師泰もろやす師重もろしげ、南遠江守、畠山阿波守、細川顕氏あきうじなどは、先にべつな所から上がっており、尊氏は執事の師直もろなお、仁木、石堂、上杉、吉良などの幕将をつれて、陸に立った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関東とは、いうまでもなく、現下、足利直義ただよしのいる鎌倉の府である。——すでに冬も荒涼こうりょうな十一月十五日——尊氏の一族細川顕氏あきうじが警固のもとに、大塔ノ宮は、あずまの空へ押送おうそうされて行った。