践祚せんそ)” の例文
天下一日も主なかるべからずと、九条兼実かねざねの議によって、高倉天皇の第四皇子後鳥羽天皇がご践祚せんそになった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
践祚せんそ大嘗祭の朝儀の最古最精確の現存記録であるが、この中にはすでに翌年播種の種子に対する心遣こころづかい、すなわち私たちのおうとする稲の産屋うぶや式作法しきさほうすこしも見えない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
年があけると今上きんじょう践祚せんそされた知らせがあり、二月には征長軍が解かれるなど、幕府の勢力の衰退と、王政復古の気運の増大とが、もはや避けがたい時の来たことを示すように
失蝶記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
践祚せんそ”とは、天子の位にのぼる式をいい、“即位”とは、それを百官万民に告げる披露の儀式をいう。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御年十八歳で践祚せんそされたが、御在位ちゅう災異凶事が多く起こり、それは、「今上きんじょうに御威徳が欠けているためである」といううわさが立つと、即位されてから僅か七年めに御退位、上皇となられた。
あえて、践祚せんそをとり行って二日後の晩であった。彼は、人知れず清水寺きよみずでら願文がんもんをおさめていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを幕府は力で迫り、公卿の一条経通つねみちや二条の関白良基よしもとらも、古例や先例や、いろんな理窟をつけてついに、北朝の後光厳天皇として、践祚せんそを見るにいたったものだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さきに践祚せんそはあらせられたが、新帝の光明院へは、まだ、神器のおゆずりはおこなわれていない。何せ、神器の授受じゅじゅを見ねば、正しい天皇の御位みくらい継承けいしょうされたとは申し難い」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仙洞御所せんとうごしょの造営にもかかわったことがあるし、後西院天皇の御譲位ごじょういにも、父の義冬よしふゆとともに朝幕のあいだに働き、また践祚せんそ賀使がしにも立ったりして、六十歳の今日にいたるまで
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後鳥羽天皇の践祚せんそを断行されるなど、眼まぐるしいほど複雑である。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)