諸葛瑾しょかつきん)” の例文
玄徳のたのみとする人物は諸葛しょかつ孔明一人といっていいでしょう。その孔明の兄諸葛瑾しょかつきんは、久しく君に仕えて、呉にいるではありませんか。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、兄の諸葛瑾しょかつきんの次男、きょうをもらって養子としていた。きんは呉の重臣なので当然、その主孫権のゆるしを得たうえで蜀の弟へ送ったものであろう。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに侍立する文武官の顔ぶれを見れば、左の列には張昭ちょうしょう顧雍こよう張紘ちょうこう歩隲ほしつ諸葛瑾しょかつきん虞翻ぐほん陳武ちんぶ丁奉ていほうなどの文官。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
継母ははをつれた諸葛瑾しょかつきんが、呉の将来に嘱目しょくもくして、江を南へ下ったのは、さすがに知識ある青年の選んだ方向といっていい。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼は、諸葛瑾しょかつきんの一軍をもって、べつに江陵地方へ向わせ、その方向へ下って来た司馬懿仲達の兵を防がせた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嫡子ちゃくし孫登そんとうももちろん同時に皇太子にのぼった。そしてその輔育の任には、諸葛瑾しょかつきんの子諸葛恪しょかつかく太子左輔たいしさほとし、張昭の子張休が太子右弼うひつを命ぜられた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長兄は諸葛瑾しょかつきんと申し、呉に仕えて孫権の幕賓ばくひんたり。二番目の兄が、諸葛亮しょかつりょう、すなわち孔明で——私は臥龍の次にあたる三番目の弟、諸葛均しょかつきんでございます
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とまれ、孔明の家がらというものは、その叔父だった人といい、また現在呉に仕えている長兄の諸葛瑾しょかつきんといい、彼の妻黄氏こうしの実家といい、当時の名門にちがいなかった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——これは闞沢かんたく呂範りょはん朱治しゅち諸葛瑾しょかつきんなどのともがらですが、折入って、提督にお目にかかりたい」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸葛瑾しょかつきんに伝えるがいい。余りに心を労さぬがよいと。そのうちおのずからわれに計もあれば」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸葛瑾しょかつきんは、涙を喜色にかえて、弟に謝し、次の日ひそかに玄徳へ会った。そして
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫権は諸葛瑾しょかつきんの案にうなずいた。さしずめ、瑾を使者として、荊州へつかわそう。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この諸葛瑾しょかつきんこそ、諸葛孔明しょかつこうめいの実兄で、弟の孔明より年は七つ上だった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸葛瑾しょかつきんは、畢生ひっせいの弁舌と智をしぼって、もう一言つけ加えてみた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち諸葛瑾しょかつきんだった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると諸葛瑾しょかつきん
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)