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諏訪町
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すわちょう
ふりがな文庫
“
諏訪町
(
すわちょう
)” の例文
「そうね。牛込の
彼処
(
あすこ
)
はどう。
諏訪町
(
すわちょう
)
時分にあなたとも二、三度行った家さ。この頃三番町にもちょいちょい
往
(
ゆ
)
くところがあるのよ。」
つゆのあとさき
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
文化の前までは、江戸の市中には日本橋の
笹巻鮨
(
ささまきずし
)
と小石川
諏訪町
(
すわちょう
)
の
桑名屋
(
くわなや
)
の二軒の鮨屋があったきり。もちろん、呼売りなどはなかった。
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
五百は度々
清助
(
せいすけ
)
という若党を、浅草
諏訪町
(
すわちょう
)
の鎌倉屋へ遣って、催促して
還
(
かえ
)
させようとしたが、豊芥子は
言
(
こと
)
を左右に託して、遂にこれを還さなかった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
師匠東雲師の家が
諏訪町
(
すわちょう
)
へ引っ越して、三、四年も
経
(
た
)
つ
中
(
うち
)
に、珍しかった
硝子
(
ガラス
)
戸のようなものも、一般ではないが
流行
(
はや
)
って来る。師匠の家でもそれが出来たりしました。
幕末維新懐古談:10 仏師の店のはなし(職人気質)
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
重兵衛に
女
(
むすめ
)
が二人あって、長女に壻を迎えたが、壻は
放蕩
(
ほうとう
)
をして離別せられた。しかし後に
浅草
(
あさくさ
)
諏訪町
(
すわちょう
)
の西側の角に移ってから、またその壻を呼び返していたそうである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
もっとも剣術なども達者であるとか聞きましたが、当時、
住居
(
すまい
)
は
諏訪町
(
すわちょう
)
の湯屋の裏にあった。
幕末維新懐古談:26 店初まっての大作をしたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
諏訪町
(
すわちょう
)
の二階では実にいろいろな事をしたね。とにかくお前と京子とは実にいい相棒だよ。僕は昼間真面目な仕事をしている最中でも、ふいと妙な事を考え出すと、すぐにお前の事を思出す。
つゆのあとさき
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
父竜池がこの
頃
(
ころ
)
の友には、春水、良斎、北渓よりして外、
猶
(
なお
)
勝田
諸持
(
もろもち
)
があった。
諏訪町
(
すわちょう
)
の狂歌師
千種庵
(
ちくさあん
)
川口
霜翁
(
そうおう
)
の後を
襲
(
つ
)
いで、二世千種庵と云う。一中節の名は都一閑斎である。
細木香以
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
運転手はゆるゆる車を進めながら、「初めから君子さんにちがいないと思っていたんですよ。忘れましたか。
諏訪町
(
すわちょう
)
の加藤さんで二、三度お
逢
(
あ
)
いしました。」と
鳥打帽
(
とりうちぼう
)
をとり振返って顔を見せた。
つゆのあとさき
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
今では浅草
諏訪町
(
すわちょう
)
に立派な家を構え……
幕末維新懐古談:03 安床の「安さん」の事
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
“諏訪町”の解説
諏訪町(すわちょう)は、山梨県東山梨郡にあった町。現在の山梨市北東部、笛吹川右岸、琴川下流域にあたる。本項では町制前の名称である諏訪村(すわむら)についても述べる。
(出典:Wikipedia)
諏
漢検準1級
部首:⾔
15画
訪
常用漢字
小6
部首:⾔
11画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“諏訪町”で始まる語句
諏訪町河岸