聞人ぶんじん)” の例文
川上宗壽は茶技の聞人ぶんじんである。宗壽は宗什そうじふに學び、宗什は不白に學んだ。安永六年に生れ、弘化元年に六十八歳で歿したから、此手紙の書かれた時は五十二歳である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい京伝の別号をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい(京伝の別号)をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
この年の虎列拉コレラは江戸市中において二万八千人の犠牲を求めたのだそうである。当時の聞人ぶんじんでこれに死したものには、岩瀬京山いわせけいざん安藤広重あんどうひろしげ抱一ほういつ門の鈴木必庵すずきひつあん等がある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
茶山の蘭軒に与ふる書には多く聞人ぶんじんの名が出で、その霞亭に与ふる書にはこれに反して此の如く無名の人が畳出でふしゆつするのは、茶山と霞亭とが姻戚関係を有してゐたからであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)