羽生はにゅう)” の例文
埼玉県の加須かぞ羽生はにゅうの「青縞あおしま」も名がありましたが、あいを生命としている縞物しまものだけに、本藍ほんあいから離れたことは大きな引目ひけめといえましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大宮を一本道に熊谷くまがやへ出て右に忍まで行くほうがずっと近いことを知っていましたが、右門はわざと反対に久喜から羽生はにゅうへ回り道をいたしました。
今度月給十一円でいよいよ羽生はにゅう在の弥勒みろくの小学校に出ることになったのは、まったく郁治の父親の尽力じんりょくの結果である。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
六月武州羽生はにゅう村の有志者が詩人森玉岡の墓碑銘の撰を枕山に請い、石に刻してこれをその地に建てた。玉岡はかつて羽生村に住し生徒を教えた因縁があった故である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
平賀元義なる名は昨年の夏羽生はにゅう某によりて岡山の新聞紙上に現されぬ、しかれどもこの時世に紹介せられしは「恋の平賀元義」なる題号の下に奇矯ききょうなる歌人、潔癖ある国学者
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
関東の方では、埼玉県の羽生はにゅう町にネボケ流しがある。これも七日の午前三時頃から床を離れ、葛西かさい用水掘に飛込んで、泳ぎ廻ったのは子供のみでなかった(新聞)。同県熊谷地方ではネム流し。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひとりは反対の羽生はにゅう街道へわかれわかれになってすたすたと足を早めだしましたので、右門はまをおかず羽生へいったほうのあとをつけだしました。
旧の正月に羽生はにゅうで挙行せられる成績品展覧会に出品する準備もそれそうおうに整頓しておかなければならなかった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
羽生はにゅう某の記する所にるに元義は岡山藩中老池田勘解由かげゆしん平尾新兵衛長治ながはるの子、壮年にして沖津氏の厄介人やっかいにん(家の子)となりて沖津新吉直義(退去の際元義と改む)と名のりまた源猫彦と号したり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この瞬間には昨夜役場に寝たわびしさも、弥勒みろくから羽生はにゅうまで雨にそぼぬれて来たつらさもまったく忘れていた。ふと石川と今夜議論をしたことを思い出した。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
江戸との連絡通信網をだれにも選びやすい近道の熊谷街道かいどうへおかずに、かえって人の選びにくい遠道の羽生はにゅう街道へ置くに相違あるまいという考えが起こりましたものでしたから