盛遠もりとお)” の例文
袈裟御前けさごぜんが夫の身代りに死んだはいさぎよけれど、死する事の一日後れてその身を盛遠もりとおに汚されたる事千載の遺恨との評がある。
むかし袈裟けさが遠藤盛遠もりとおいどまれたときには、無理を忍んでハイハイと返事し、もって母の危急を防いだが、いよいよ最後の守らねばならぬ点にいたっては
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
その一人は佐藤義清のりきよ、もう一人は遠藤盛遠もりとおである。義清は二十三歳、盛遠は十八歳で剃髪した。前者は一所不住の歌人西行さいぎょう、後者は高雄神護寺の荒行者文覚もんがくである。
西行の眼 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
俗姓を遠藤、名を盛遠もりとおといい、北面の士から、院の武者所となったが、十八の年、袈裟けさという人妻を斬って、慚愧ざんきの果て、髪をけずって僧門に入ったのがその動機だったという。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『さるほどに遠藤武者盛遠もりとおは、春も弥生の始めつかた霞がくれの花よりも、床しき君の面影を、見初めし緑のはし供養、あけくれ絶えぬおもい川、恋わたる身はうつつなや——』
深夜の客 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
盛遠もりとおは徘徊を続けながら、再び、口を開かない。月明つきあかり。どこかで今様いまよううたう声がする。
袈裟と盛遠 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
翌四十一年の正月、左団次君が洋行帰りの第一回興行を明治座で開演して、松葉君が史劇「袈裟けさ盛遠もりとお」二幕を書いた。三月の第二回興行には紫紅君の「歌舞伎物語」四幕が上場された。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
夜、盛遠もりとお築土ついじの外で、月魄つきしろを眺めながら、落葉おちばを踏んで物思いに耽っている。
袈裟と盛遠 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
『あ。……盛遠もりとおか』