痘瘡とうそう)” の例文
秋成は、五歳の折、重い痘瘡とうそうをわずらって、その痘毒のために、右の中指と左の人さし指がひどく短くなり、用にたたなくなっていた。
雨月物語:04 解説 (新字新仮名) / 鵜月洋(著)
秋成は、五歳の折、重い痘瘡とうそうをわずらって、その痘毒のために、右の中指と左の人さし指がひどく短くなり、用にたたなくなっていた。
また虎肉はインド人が不可療の難病とする痘瘡とうそう唯一の妙剤だと(ヴィンツェンツォ・マリア『東方遊記イルヴィアジオ・オリエンタリ』)。
筑紫に起った痘瘡とうそうが都まで流行してきた。天平九年のことであった。加茂川のほとり、城門の外は言うまでもなく、都大路も投げすてられた死体によって臭かった。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
背の低いでっぷりした強健な男で、痘瘡とうそうのある太いあから顔に、小さな鋭い眼が光っていた。昔は色好みだとの評判だったが、あとまでその趣味を全然失いはしなかった。
なぜというに、抽斎が次男優善をして矢島氏の女壻たらしむるのは大いなる犠牲であったからである。玄碩の遺したむすめ鉄は重い痘瘡とうそううれえて、瘢痕はんこん満面、人の見るをいとう醜貌であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
当時は痘瘡とうそうとか麻疹はしかとか云う疫癘えきれい流行はやって死人が多く出たりすると、一つには伝染を恐れるのと、一つには処置に困るのとで、何処と云うことなく、空地があれば病人の屍骸を運んで行って
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
今年長崎市発行『土の鈴』二輯へ予記臆のままその瓦猴の旧像の図を出した。第一輯に写真した物は近来ハイカラ式の物だ。猴は安産する上痘瘡とうそう軽き故、かく産婦が祭る由聞いた。
路は痘瘡とうそうのためにかたちやぶられていたのを、多分この年の頃であっただろう、三百石の旗本で戸田某という老人が後妻に迎えた。戸田氏は旗本中にすこぶる多いので、今考えることが出来にくい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)