版図はんと)” の例文
旧字:版圖
荊州を版図はんとに加えることは実に劉表りゅうひょうが亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしの国ロシアのカザリン女帝、不世出の英資をもって、版図はんとを拡め日本の地をさえうかがわんとして虎視眈々、蝦夷地えぞちに向かって手を延ばさんとす。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
悪疫あくえき版図はんとは五十村に渡った。疱瘡ほうそうのように細かな腫物はれものが全身に吹き出ると、焼けるように身体が燃えて、始めは赤くなった。ついには黒くなって死ぬといった。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
或は出来る丈け沢山貰う目的で版図はんとの中一番遠いところを考え出したのかも知れない。
朝起の人達 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
その地は今から見てもシッキムの版図はんと内ということはよく分って居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
その版図はんとは、さきにあげた諸郡のうちの四郡にわたり、武族としても、勢威、国内を圧するという一族である。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まして、漢中の地が、新たに魏の版図はんとに加えられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、「魏王の位に即いていただこうじゃないか」と、寄々よりより、議していた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま、各国の勢力と、版図はんとの推移を見ようとするなら、諸国の城主をいちいち指折るにはあたりません。大坂の秀吉か、東海の家康か。この二つを考えれば沢山です。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その版図はんとの増大に伴って、以前、今川家に仕えていた駿河衆や、武田家出身の甲州武者が、おびただしく麾下きかに加わって、それに松平村から起った一族同様のいわゆる譜代ふだいの家臣を交え
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岐阜ぎふの領は、親ゆずりの遺産ではない。自己の実力で新たに版図はんとに加えたものである。領民はついきのうまで、斎藤家を領主と仰いでいたものだ。それだけに困難が多いのである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢八郡は名実ともに、彼の版図はんとに収められてしまった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長はいながら毛利の版図はんと俯瞰ふかんしていた。そして
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)