浮沈ふちん)” の例文
余の車屋はこの暗い門の下を潜って、城内の満鉄公所まで、悪辣無双あくらつむそうに引いて行った。余は生きた風呂敷包のごとく車の上で浮沈ふちんした。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、ここぞ、念仏門の浮沈ふちん、せっかく、御大赦ごたいしゃの天恩が下ったと思えばこの悲報に、人々は、暗黒の中に迷う思いをしておりまする。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんな話は無論後世の作り話で、家康一代の浮沈ふちんを決する大問題を禅問答の要領で呑みこんでくるなどというバカげた筈があるべきものではない。
家康 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
もしことやぶるれば町長の不名誉、助役の涜職とくしょく、そうして同志会の潰裂かいれつになる。猛太はいま浮沈ふちんの境に立っている。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
「他でもない、宇佐美家の浮沈ふちんかゝはる一大事。折入つてお願ひを申上げたいといふのは」
いま人間が一人、溺れ死ぬかどうかという浮沈ふちん境目さかいめだ。綱をしっかり持っているんだぜ
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「熊本を抜けば、天下の大事はわれにうごく、かばね、屍、また屍を踏みこえてつき破れ。われわれの浮沈ふちんは今ここだ」
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さて、このあとの御沙汰が、吉とくるか、凶とくるか。……この書付一本が、天満組てんまぐみの俺たちや、甲賀家のお千絵様、また弦之丞様たちが、一生涯浮沈ふちんの分れ目……」
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そちの吉報が、一期いちご浮沈ふちんだ。——まことに、今日はもう六月二日。百日の期間までには、後七十三日と相成った。一日とてゆるがせにはならん、道中も、急いで頼むぞ」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分の一身に汲々きゅうきゅうと捉われている眼つきと、何ものも考えずにただおこってのみいる感情と——殆ど、瀬の渦に巻かるる落葉の片々たる浮沈ふちんのすがたのように、収拾のつかない
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一刀斎は、例によって、世乱変転のすがたを、あたかも道中の山水風物と同視して、冷酷に批判する。浮沈ふちん興亡こうぼうする英雄の道と、いま自分のあるいている道とは、まったく別箇のものとしているのである。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)