浅草橋あさくさばし)” の例文
明治六年筋違見附すじかいみつけを取壊してその石材を以て造った眼鏡橋めがねばしはそれと同じような形の浅草橋あさくさばしと共に、今日は皆鉄橋にけ替えられてしまった。
うわさに聞く浅草橋あさくさばしまで行くと、筋違すじかいで見たような見附みつけの門はそこにもあった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
学校の事もなにも忘れて、駒形こまがたから蔵前くらまへ蔵前くらまへから浅草橋あさくさばし………れから葭町よしちやうの方へとどん/\歩いた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
学校の事も何もも忘れて、駒形こまかたから蔵前くらまえ、蔵前から浅草橋あさくさばし……それから葭町よしちょうの方へとどんどん歩いた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その時分にはボオトの事をバッテラという人も多かった。浅草橋あさくさばし野田屋のだや築地つきじ丁字屋ちょうじやから借舟かりぶねをするにしても、バッテラと荷足とは一日の借賃かりちんに非常な相違があった。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
永代橋えいたいばし河下かはしもには旧幕府の軍艦が一艘商船学校の練習船として立腐たちぐされのまゝに繋がれてゐた時分、同級の中学生といつものやうに浅草橋あさくさばしの船宿から小舟こぶねを借りてこのへんを漕ぎ廻り
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
永代橋の河下かわしもには旧幕府の軍艦が一艘商船学校の練習船として立腐たちぐされのままに繋がれていた時分、同級の中学生といつものように浅草橋あさくさばしの船宿から小舟こぶねを借りてこのへんぎ廻り