武蔵国むさしのくに)” の例文
武蔵国むさしのくに那珂郡なかごおりの住人弥次郎入道(実名不詳)という人も上人の教化をこうむって一向念仏の行人となったが矢張り上人から手紙を貰って秘蔵していた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
どうやらおぼえのある地図——その下に、一行の文字が走っていて、武蔵国むさしのくに江戸えど麻布あざぶ林念寺前りんねんじまへ柳生藩やぎうはん上屋敷かみやしき
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅にゅうぜいしたのは、武蔵国むさしのくにおしの人竹内作左衛門たけのうちさくざえもんの子で、抽斎の祖父本皓ほんこうが即ちこれである。津軽家は越中守信寧のぶやすの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そこから武蔵国むさしのくにの境を越して、児玉村に三日いた。三峯山みつみねさんに登っては、三峯権現ごんげんに祈願をめた。八王子を経て、甲斐国かいのくにに入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山みのぶさん参詣さんけいした。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
武蔵国むさしのくに秩父小沢口の住人じゅうにん逸見太四郎義利は、この溝口派の一刀流を桜井五助長政というものにいて学び、ついにその奥義おうぎきわめて、ここに甲源一刀流の一派を開き関東武術の中興とうたわれたので