-
トップ
>
-
樸直
>
-
ぼくちょく
丘福は
謀画の才張玉に及ばずと
雖も、
樸直猛勇、深く敵陣に入りて敢戦死闘し、
戦終って功を献ずるや必ず人に
後る。
古の
大樹将軍の風あり。
人としての彼は「エスイタ教徒の
愛嬌と、ストイック派の
樸直と、直進的な
気性」とを持っていたと言わるるが
栄玄は
樸直な人であったが、往々性癖のために言行の
規矩を
踰ゆるを見た。かつて八文の煮豆を買って
鼠不入の中に蔵し、しばしばその存否を検したことがある。
同行者は松本
甲子蔵であった。甲子蔵は後に
忠章と改称した。父を
庄兵衛といって、
素比良野
貞固の父文蔵の若党であった。文蔵はその
樸直なのを愛して、津軽家に
薦めて
足軽にしてもらった。