私の父、与三左衛門影康かげやす、平治の乱には重盛公の御供に加わり、悪源太義平あくげんたよしひらに討たれて死にました。時に私は三歳で何も知らぬ幼な児でございました。
かえりみて今、義朝のまわりを見まわせば、十九歳という長男の悪源太義平あくげんたよしひら、まだ十六の次男朝長ともながの骨肉たち。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主なる役割は左団次の悪源太義平あくげんたよしひら、市川権十郎の平重盛たいらのしげもり、市川米蔵よねぞうの重盛妹花咲姫などであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
むかし源氏げんじ平家へいけ戦争せんそうをして、おたがいにったりけたりしていたときのことでした。源氏げんじ大将たいしょう義朝よしともには、悪源太義平あくげんたよしひら頼朝よりとものほかに今若いまわか乙若おとわか牛若うしわか、という三にん子供こどもがありました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
義賢は悪源太義平あくげんたよしひらに殺されたが、そのとき義仲はわずか二歳の幼児で、母に伴われ、木曽中三兼遠きそのちゅうぞうかねとおの許で、二十余年間育てられた。長ずるに従い、ひときわ弓矢の道に優れた、たくましい侍になった。