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少弐
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しょうに
ふりがな文庫
“
少弐
(
しょうに
)” の例文
と、
少弐
(
しょうに
)
の兵、大友の部下、宇都宮
弾正
(
だんじょう
)
らも、自陣をすてて、救援にはせつけた。——しかし敵の増援はそれにもっと数倍している。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そのうちに、
乳母
(
めのと
)
の
良人
(
おっと
)
が九州の
少弐
(
しょうに
)
に任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことである。
源氏物語:22 玉鬘
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
遠く元弘三年の昔、九州随一の勤王家菊池武時は、逆臣北条探題、
少弐
(
しょうに
)
大友等三千の大軍を一戦に
蹴散
(
けち
)
らかさんと、手勢百五十騎を
提
(
ひっさ
)
げて、この櫛田神社の社前を横切った。
近世快人伝
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
そこへ
少弐
(
しょうに
)
の
太宰兵
(
だざいへい
)
三百名が加わったので、やや意を強うし、なお芦屋ノ浦では、数倍の九州軍が参加あるはずと
観
(
み
)
ていたので
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
少弐
(
しょうに
)
一家のいる所は肥前の国なのである。その辺での豪族などは、少弐の孫の
噂
(
うわさ
)
を聞いて、今でも絶えず結婚を申し込んでくる、うるさいほどに。
源氏物語:22 玉鬘
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
▼ もっと見る
尊氏はまだ六波羅のころから、筑紫の
少弐
(
しょうに
)
や大友の族党へはいちばい恩義をかけていた。そのほか、
蒔
(
ま
)
いておいた
胚子
(
たね
)
も多い。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
惨酷
(
ざんこく
)
な海賊よりも
少弐
(
しょうに
)
の遺族は
大夫
(
たゆう
)
の
監
(
げん
)
をもっと恐れていて、その追っ手ではないかと胸を冷やした。
源氏物語:22 玉鬘
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
「わが家には、家祖家時公の“
置文
(
おきぶみ
)
”というものがあった。これは
少弐
(
しょうに
)
の家の置文といってよかろう。
護符
(
ごふ
)
として、大事に肌に持っているがよい」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一時はそこも陥落し、彼も自刃かとみえたが、すでに武時を裏切っていた
少弐
(
しょうに
)
、大友の二軍が菊池勢のうしろへかかって、急を救ッたものだった。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、九州の
少弐
(
しょうに
)
、大友、島津。そのほかの古い
輩
(
やから
)
も、多くはそちをよく知っていない。尊氏ならでは心を一つに集まるまい。わしがまいれば」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「どうしたのでしょう。約束の
少弐
(
しょうに
)
(筑後守貞経)や大友(近江守貞宗)のうごきはどこにも見えません」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
少弐
(
しょうに
)
、大友の兵に攻められて滅亡をとげたと報じ、長門の探題北条時直も、おなじころ、宮方軍の殲滅するところとなり、そのほか、北陸北越、諸所の北条代表の武族も、降伏
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼の黒表にのぼっていたおもなる大族は菊池、
阿蘇
(
あそ
)
、
少弐
(
しょうに
)
、大友の四家だった。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
筑紫の
少弐
(
しょうに
)
貞経の子、
頼尚
(
よりひさ
)
兄弟が
大宰府
(
だざいふ
)
から一族五百余人をひきつれて
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
少
常用漢字
小2
部首:⼩
4画
弐
常用漢字
中学
部首:⼷
6画
“少弐”で始まる語句
少弐頼尚
少弐妙恵
少弐大友
少弐貞経