実世さねよ)” の例文
旧字:實世
だから、いくたび朝議にかけても一決せず、朝廷も裁決にこまって、ついに実世さねよを免官とし、大納言万里小路までのこうじ藤房を、その任にあたらせた。
すなわちその軍中には、皇太子恒良つねなが、親王尊良たかながのおふたりを奉じ、洞院とういん実世さねよ、同少将定世、三条泰季やすすえなども付きしたがい、総勢は約七千余騎。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公卿では花山院師賢もろかた、あぜちの大納言公敏きんとし、北畠具行ともゆき、侍従の公明、別当実世さねよ烏丸からすま成輔なりすけ、さえもんのかみ為明ためあき、左中将行房、ちぐさ忠顕ただあき、少将能定よしさだ
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俄な新手が補強され出したというわけは、先に、洞院とういん実世さねよを大将として、信濃へ入り、やがて義貞の本軍と会合すべき計画だった東山道軍の七千が
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて坊門の清忠、洞院とういん実世さねよなどは、それのコチコチであった。——しかし後醍醐は、かならずしも、義貞の奏上だけにたよって御判断はくだしていない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かねて天皇帷幄いあくの秘臣とにらまれていた大納言宣房、洞院とういん実世さねよ、侍従の中納言公明、烏丸からすま成輔なりすけなど、みなその自邸で寝込みをおそわれ、一網打尽に、捕縛された。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洞院とういん実世さねよが主宰していたが、諸国の武士どもは、われもわれもと上表じょうひょうして、自分の功を言いつのり、かえって、ほんとに勲功のある者は、つつしんで身を矜持きょうじする風で
雲母坂きららざかにいた山法師の一軍、赤山明神下の洞院ノ実世さねよの七千人。これが一時にうごき出すと、を合せて、白川越えの上や鹿ししたにのふところでも山を裂くような武者声がわきあがった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれのわずかな日も、彼はむだには過ごしていない。幕府の名で、奏請そうせいを仰ぎ、堀川ノ光継みつつぐ、洞院ノ実世さねよ、そのほか、後醍醐について行ったとみられる十数家の公卿の官爵かんしゃくをけずり、また
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いん師賢もろかた、四条隆資たかすけ洞院とういん実世さねよ、伊達ノ三位さんみ遊雅ゆうが、平ノ成輔なりすけ、日野資朝すけとも
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新田義貞や、脇屋義助らは、なお越前の杣山そまやま城に拠って、健在とわかって来たのみでなく、洞院とういん実世さねよも力をあわせて、再起の兵を、全北陸にわたって呼びかけているとの報をえたので、みかどは
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というのは、洞院とういん実世さねよの使いと称する者が陣門へ来て
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
脇屋義助の首も、洞院ノ実世さねよの首も、なかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洞院とういん実世さねよが言った。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)