孤兒みなしご)” の例文
新字:孤児
リード夫人は、その孤兒みなしごを十年間手許に置きました。そこでその子が幸福であつたかどうかは聞かされなかつたから、僕は知りません。
先々代のめひの子で、十歳とを孤兒みなしごになつたお夏に、佐渡屋の女主人や娘達、奉公人達まで殺す動機があらうとも思はれません。
此徳二郎といふ男は其頃二十五歳位、屈強な若者で、叔父の家には十一二の年から使はれて居る孤兒みなしごである。
少年の悲哀 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そして雨に濡れた汚い人家の燈火ともしびを眺めると、何處かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の聲や、繼母まゝはゝさいなまれる孤兒みなしごの悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。
花より雨に (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
このやうにむごい目にあはされてゐるのです! その胸に可哀さうなこの孤兒みなしごを抱きしめて下さい! 廣い世の中に身の置きどころもなく、みんなからいためつけられてゐるのです!……お母さん
狂人日記 (旧字旧仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
やみのおびえの『扇を持てる孤兒みなしごの娘』青春の衰へを星雲せいうんの中に齒がみして死ぬ生き埋めの如き自分の『一生』を書いて殆んど再び行き詰りの絶頂にとどいた自分は突如として生の勢のよい『發生』を
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
たよるすべなき孤兒みなしごのけふの寒さ、身のつらさ
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
世に孤兒みなしごの吾身こそ
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
私は、孤兒みなしごで、牧師の娘でございます。兩親は物心ものごゝろの附かない前にくなりました。私は人に預けられて育ち、慈惠院で教育されました。
ほかには、さう/\手代の新六郎、これは私のをひで、お絹とは從兄妹いとこ同士、十二の時孤兒みなしごになつて、それから十年もの間この家で育つてゐる。
「そんな事はありません。孤兒みなしごになつて困つて居るのを引取つた位で——それに氣の良い女ですから、この恩を返したいと言ひ續けて居ました」
そして、伯父がその遺産を牧師であつた弟の孤兒みなしごに與へることにしたといふことも。僕等のことを落したのは、僕の父と仲違なかたがひをしてゐて和解の道がついてゐなかつた結果です。
「主人夫婦には、めひのお縫を殺すわけはない。お縫は孤兒みなしごで、金も身分もなし、それに少し陰氣ではあつたが、申分なく綺麗で、上品で、優しくもあつた」
「私の世にある頃の朋輩ほうばいの娘ぢやよ。孤兒みなしごになつて、本國から私を頼つて來たのが二年前、それから奉公人ともなく娘分ともなく、此處に住むことになつたが」
それは加納屋の遠縁に當る孤兒みなしごで、引取られて下女代りに働いて居るお組とあとでわかりました。
「成瀬屋の先代が身代限りをしさうになつたのを、遠縁の今の主人が入つて立て直し、私は孤兒みなしごになつてさるお屋敷に奉公して居たのを、此處に引取られて育てられました」
「大丈夫だよ、——それ丈けの恰幅なら『千里の虎』位は組伏せられるよ、——お前さんは幾つだえ、何? 十八? 孤兒みなしごになつて、御新造の厄介になつて居る? さうかい」
孤兒みなしごのお雪は徳右衞門に引取られた——これは親分も御存じで、私が清水へ行つてわかつたのは、紋三郎の女房のお町は、娘のお雪そつくりで、それは/\綺麗な女だつた相です。
十歳とをの時孤兒みなしごになつて引取られ、掛り人とも、奉公人ともなく育てられて居ります」
「向島の凄いのは、あつしも見ませんが、許嫁といふのは、伊豆屋の主人が若い時世話になつたとかの武家の娘で、孤兒みなしごになつたのを、五年も前から引取つて育てたといふことでした」
「相模の生れで、孤兒みなしごだといふことだが、請人うけにんは確かだ」
「さう言ふことになりますね、尤も父親の紋三郎も母親のお町も早く死んで、孤兒みなしごになつたので、伯父の徳右衞門に引取られた相です、綺麗で悧巧だから、お種にも可愛がられ、幸せ過ぎるほど幸せに暮して居ります」