奥州みちのく)” の例文
旧字:奧州
年久しく鞍馬にあり、その後、奥州みちのくにかくれて、生い育った九郎義経です。——と、お伝えたまわれば、兄頼朝はご存知のはずです。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——お取次ぎをたまわれ。遥々はるばる奥州みちのくより駈け下って参った弟の九郎です。兄頼朝へ、九郎が参ったと、お伝え下されませ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
久しく鞍馬や奥州みちのくつちかわれてきた健全な野性と、また、血には、自分と同じ父をもって、よく野性と叡智えいちとを一身に調和している彼の性情を。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうして、あれほどきびしい平家の付人つけびとの眼をくらましたか、関東へのがれて、身をひそめ、今では、奥州みちのくの藤原秀衡ひでひら懸人かかりゅうどになっているとやら……」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは、この母の従姉弟いとこに、今は、奥州みちのくの藤原秀衡ひでひらのもとにひそんでいる源九郎義経よしつねがあり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ぜひもない。京都回復の企図きとはしばらくこう。要はまず、東国奥州みちのくの固めに主力をそそぐことだ。しかる後に、尊氏の根拠をその足もとからくつがえそう」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし奥州みちのくの平泉に藤原三代の都が開かれた頃には、やはり京女がたくさんに奥州へ売られて行ったものだが、今ではそのはけ口が江戸表になっている。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奥州みちのくに武者も多いが、そちはこう二心を持たぬ奥州ざむらい。そう見込んだがゆえ、いいつけたのだが」
(——五穀ごこくにも、風土にも、また唐土の文化にも恵まれぬ奥州みちのくでさえ、こんな図はない)
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)