太宗たいそう)” の例文
太宗たいそう皇帝の水陸大会だいせがきに、玄奘法師げんじょうほうし錦襴きんらん袈裟けさ燦然さんぜんと輝き、菩薩ぼさつが雲に乗って天に昇ると、その雲がいつの間にか觔斗雲きんとうんにかわって
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
唐の太宗たいそう皇帝が彼に命じて長孫無忌ちょうそんむき(太宗の重臣)の鞍を取って来いと言った。同時に無忌にも内報して、取られないように警戒しろと注意した。
徳川家康は凶方をおかして出陣し、関ヶ原の勝利を得たりしことは『小学修身書』に出ておるが、これと同じく、唐の太宗たいそうは出陣のときに凶日をおかして勝利を得たる話がある。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
まだ仏教を信じない時分にシナから唐の太宗たいそうの皇女なる文成公主ぶんせいこうしゅめとることになったその時分に、文成公主はその父の太宗に願うて言いますには、チベットは人を殺して喰うという国と聞きますから
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「それは、いささか割引がかんじんじゃ、大諸侯の物とて、一から十まで盲信するわけにはゆかん。いったい、羲之の真蹟はすべて唐の太宗たいそうが棺の中まで持ちこんで行ってしまったはずで、支那にも、もはや断簡零墨だんかんれいぼくもござらぬそうな」
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この絵は宋初そうしょのものとされているので、本当の玄奘三蔵げんじょうさんぞう法師が、とう太宗たいそう貞観じょうがん三年に長安ちょうあんの都を辞して、遥々はるばる印度への旅についた頃から見ると、三百年くらいも後に描かれたことになる。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
但しこれは宋の太宗たいそうの命によって、一種の政府事業として李昉りぼうらが監修のもとに作られたもので、ひろく古今の小説伝奇類を蒐集したのでありますから、これを創作と認めるわけには参りません。