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大織冠
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たいしょくかん
ふりがな文庫
“
大織冠
(
たいしょくかん
)” の例文
其
寂寞
(
せきばく
)
たる光りの海から、高く
抽
(
ぬき
)
でて見える二上の山。淡海公の孫、
大織冠
(
たいしょくかん
)
には曾孫。藤氏族長太宰帥、
南家
(
なんけ
)
の豊成、其
第一嬢子
(
だいいちじょうし
)
なる姫である。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
遠く
天児屋根
(
あめのこやね
)
の
命
(
みこと
)
にあり、命の二十二代は
大織冠
(
たいしょくかん
)
藤原の
鎌足
(
かまたり
)
公、それより十六代の
後胤
(
こういん
)
である伊達
遠江守蔵人
(
とおとうみのかみくろうど
)
は従五位下
常陸介朝宗
(
ひたちのすけともむね
)
どのに出づるこの——
石狩川
(新字新仮名)
/
本庄陸男
(著)
じゃが、
大織冠
(
たいしょくかん
)
さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に
岐
(
わか
)
れました。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
其お方がお死にの
際
(
きわ
)
に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、
大織冠
(
たいしょくかん
)
のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。
死者の書
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
“大織冠”の解説
大織冠(たいしょっかん、たいしょかん)は、大化3年(647年)から天武天皇14年(685年)まで日本で用いられた冠位、またその標章たる冠をいう。冠位としては単に大織(だいしき)ともいう。冠位の最上位で、下には小織がある。史上藤原鎌足だけが授かった。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
織
常用漢字
小5
部首:⽷
18画
冠
常用漢字
中学
部首:⼍
9画
“大”で始まる語句
大
大人
大事
大袈裟
大分
大切
大抵
大概
大方
大丈夫