大倭やまと)” の例文
なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大倭やまと一だと言われる男たちの顔、そのままだと言うのである。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
二八六大倭やまとの神社に仕へまつる当麻たぎま酒人きびとといふ翁なり。二八七道のほど見たててまゐらせん。いざ給へとて出でたてば、人々あとにつきて帰り来る。
華族様の御台様みだいさまを世話でお暮し遊ばすという御身分で、考えてみりゃお名もまや様で、夫人というのが奥様のことだといってみれば、何のことはない、大倭やまと文庫の、御台様さね。
清心庵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
法華寺、詳しくは法華滅罪之寺は大倭やまと国分尼寺こくぶんにじで、光明皇后の熱信から生まれたものらしい。天平十三年にしょうが出ているから当時すぐ造営がはじまったとしても皇后はもう四十を超えていられた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
(作陽誌。岡山県久米くめ大倭やまと村南方中)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あけの日二八八大倭やまとさとにいきて、翁が二八九めぐみかへし、かつ二九〇美濃絹みのぎぬ三疋みむら二九一筑紫綿つくしわた二屯ふたつみおくり来り、なほ此の妖災もののけ二九二身禊みそぎし給へとつつしみて願ふ。
美作みまさか久米郡大倭やまと村大字南方一色字苅集リ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)