利家としいえ)” の例文
五郎左衛門長秀は、前田利家としいえと共に、北陸にいたが、長秀の部将、金森金五かなもりきんごや、蜂屋頼隆はちやよりたかは、秀吉について、参戦していた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北陸経営の重鎮じゅうちんは、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、金森かなもり不破ふわ佐々さっさなどの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門利家としいえにも、二郡を分け与えた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ。……岩室長門いわむろながとどのが戦死し、つづいて前田犬千代——今の前田孫四郎利家としいえどのが、討手を命ぜられて、御一族の仲にありながら、多年の合戦であった」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加賀の大納言だいなごん利家としいえから二百石ぐらいの仕送りをうけているのだと人はうらやんでよく噂にいう。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前田又左衛門利家としいえこそ、北陸では無二の同心の者だし、北陸の一の木戸でもあるゆえ、せっかく充分に意志の疎通を計られて、唇歯しんしのお交わりあるようにとも云い添えている。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おわかりか。前田又四郎でござる。利家としいえでござる。——官兵衛どの、おわかりか」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
池田勝三郎、佐々内蔵助さっさくらのすけ、前田孫四郎利家としいえの二千人。——軍監ぐんかん梁田出羽守やなだでわのかみ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜならば正使として来た前田又左衛門利家としいえとは、むかしから刎頸ふんけいともではあるし、ここ月余にわたる主君の勘気にたいしても、秀吉のために、彼がもっともしていたといわれるし
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)