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信孝
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のぶたか
ふりがな文庫
“
信孝
(
のぶたか
)” の例文
端
(
たん
)
をかまえ、秀吉に一口実を与えて、戦をはじめ出したのであるから、それだけでも、
信孝
(
のぶたか
)
亡きあと、この名血族の断絶も、はや遠くない気がされるのだった。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
豊臣秀吉
(
とよとみひでよし
)
が織田
信孝
(
のぶたか
)
の賊臣
桑田彦右衛門
(
くわたひこえもん
)
の
挙動
(
きょどう
)
を
悦
(
よろこ
)
ばず、不忠不義者、世の
見懲
(
みごら
)
しにせよとて、これを信考の
墓前
(
ぼぜん
)
に
磔
(
はりつけ
)
にしたるがごとき、
是等
(
これら
)
の事例は実に
枚挙
(
まいきょ
)
に
遑
(
いとま
)
あらず。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
神戸
(
かんべ
)
三七
信孝
(
のぶたか
)
が来てひかえていたのである。信孝は、四国攻めの陣に派遣を命ぜられたので、人数その他のさしずを仰ぎ次第、直ちに出発するつもりで、これへ見えたものだった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長が、その子
信孝
(
のぶたか
)
と、丹羽五郎左に、四国出兵を命じ、まさにその兵船が堺ノ浦を出ようという直前に——例の本能寺の事変が突発して、以来、そのままとなっていたものである。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、本丸の上段、毛皮の
褥
(
しとね
)
に、どッかりかまえた
修理亮勝家
(
しゅりのすけかついえ
)
は、その年、五十三の老将である。こよいも、
岐阜
(
ぎふ
)
の
侍従
(
じじゅう
)
信孝
(
のぶたか
)
からの
飛状
(
ひじょう
)
を読みおわって、
憤怒
(
ふんぬ
)
を
面
(
おもて
)
にみなぎらしていた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
和を
容
(
い
)
れて、具教の助命を認めたが、後年また、北畠父子が
叛
(
そむ
)
いたので、その機会をとらえて、信長の次男の
茶筌丸
(
ちゃせんまる
)
——後の信雄を、北畠家へ養子に入れ、三男の
信孝
(
のぶたか
)
を、
神戸具盛
(
かんべとももり
)
の後継ぎにすえ
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
曠世
(
こうせい
)
な大演武には、信長の一族、
岐阜
(
ぎふ
)
中将
信忠
(
のぶただ
)
、
北畠
(
きたばたけ
)
中将
信雄
(
のぶお
)
、織田三七
信孝
(
のぶたか
)
、柴田、前田、明智、細川、
丹羽
(
にわ
)
そのほかの諸侯から将士約一万六千余と、会衆十三万余人という盛況の下に行われ
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
信孝
(
のぶたか
)
を通せ」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信
常用漢字
小4
部首:⼈
9画
孝
常用漢字
小6
部首:⼦
7画
“信孝”で始まる語句
信孝公
信孝卿
信孝君