“ぶぜんのくに”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
豊前国50.0%
豐前國50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
当月十日、異国船一そう上筋かみすじより乗り下し、豊前国ぶぜんのくに田野浦部崎へさきの方に寄り沖合いへ碇泊ていはくいたしそうろう
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
森は首尾よく城内に入り、幽斎公の御親書を得て、翌晩関東へ出立いたし候。このとし赤松家滅亡せられ候により、景一は森の案内にて豊前国ぶぜんのくにへ参り、慶長六年御当家に召抱めしかかえられそろ
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十年に信長が明智あけち日向守光秀ひうがのかみみつひでに殺された。孝高父子は此時から木下秀吉ひでよしの下に附いて働き、十五年には孝高は豐前國ぶぜんのくに六郡の主にせられた。此時利安は領地を分けて貰つた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
話頭はなしかはりて爰に松田の若黨わかたう吾助は主人喜内を討果うちはたしてかねての鬱憤うつぷんを散じ衣類一包みと金子二百兩を盜み取やみに紛れて備前國岡山を立去しが豐前國ぶぜんのくに小倉こくらの城下に少しの知音ちいん有ければ此に便りて暫く身を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)