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なかさか
四六
版から四六
倍の雑誌に
移る
迄には
大分沿革が有るのですが、今は
能く覚えません、
印刷所も
飯田町の
中坂に
在る
同益社と
云ふのに
易へて
同益社へは
卅円の
月賦かにした二
百円余の
借用証文を入れて、それで
中坂の店を閉ぢて
退転したのです
這麼風で
中坂に
社を
設けてからは、
石橋と
私とが
一切を
処理して、
山田は
毎号一篇の小説を書くばかりで、前のやうに社に
対して
密なる
関係を持たなかつた、と
云ふのが